2020.02.12 Wednesday
持て余した才能
さて、本来は一昨日取り上げる予定でしたが1年前の一昨日、元横綱 双羽黒の北尾光司さんが亡くなりました。
《大相撲の元横綱 双羽黒の北尾光司さんが、先月慢性腎不全のため亡くなっていたことがわかりました。55歳でした。
北尾さんは昭和38年に津市で生まれ、昭和54年の春場所で初土俵を踏みました。
身長およそ2メートルの体格を生かし昭和59年の初場所で新十両に昇進後、その年の秋場所で新入幕を果たし昭和60年の初場所で新三役として小結、九州場所後に大関に昇進しました。昭和61年の名古屋場所で、2場所連続で優勝に次ぐ成績を残し横綱昇進を決めました。
優勝制度が始まってから幕内で優勝経験のないまま横綱に昇進した唯一の力士で、新入幕から12場所での横綱昇進は、年6場所制が定着した昭和33年以降では、2番目のスピードです。しこ名は、60代横綱となったのを機に「北尾」から「双羽黒」に改名しました。
その後、昭和62年に師匠とトラブルになり部屋を飛び出すなどして騒動となり、横綱在位わずか8場所で、優勝を経験することなく「廃業」という形で角界を去りました。
角界を去った北尾さんは、プロレスラーとしてリングに上がるなどしていました。
関係者によりますと北尾さんは、平成25年から腎臓の病気で闘病生活を送っていましたが先月10日の午前7時半、慢性腎不全のため千葉県内の病院で亡くなったということです。》
【 nhkニュース Web】
享年55… 若いです。このニュースを聞いた時はなんとも言えない複雑で悲しい気持ちになりました。
同郷で同年代、" 新人類" と呼ばれた世代で親しみを感じながら彼が様々なトラブルを巻き起こすたびに嫌悪感もありました。
部屋の親方夫妻と揉め相撲廃業、そしてスポーツ冒険家を経てプロレスラーへ。
デビュー戦は1990年2月10日。奇しくもちょうど30年前、命日と同じ日に新日本プロレスの東京ドーム大会ででした。
大歓声に迎えられながらも中身の無いカッコばかりつけた試合で最後は大ブーイング。
そしてわずか数カ月で現場トップの長州力と揉めて退団。
天龍源一郎に拾われる形で入団したSWSでも八百長発言で退団。
そしてそしてUWFインター参戦。
プロレスラーとしてのクライマックスはUWFインターでの高田延彦戦でした。
ルールその他で揉めに揉めて3分5ラウンド、ガチンコで行われた一戦は高田のハイキック一発で劇的なKO勝ち。北尾にとっては複雑な試合となりました。
その後バーリトゥード数戦を行いましたが奮わずフェードアウト。
相撲界に復帰したとのニュースもありましたが晩年は病魔との戦いに。
そして敗れ…
昨年2月10日に亡くなりました。
相撲でもプロレスでも絶対王者になれた才能をほとんど見せること無く逝った横綱に献盃。
皮肉にもノックアウトされた試合が一番有名に…
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